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札幌地方裁判所 昭和29年(ワ)772号 判決

原告 島上トミ子 外五名

被告 国

訴訟代理人 林倫正 外三名

主文

原告島上トミ子の請求を棄却する。

被告は原告岡田恵美子、同岡田幸男、同岡田二美男、同岡田正志各自に対し金五万円及びこれに対する昭和二九年九月二一日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

右原告らのその余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその一を原告島上トミ子の負担とし、爾余のうち二分の一をその余の原告らの、二分の一を被告の負担とする。

事実

一、当事者双方の求めた裁判

原告ら。「被告は原告ら各自に対し金一〇万円及びこれに対する昭和二九年九月二一日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

被告。「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

二、原告らの請求の原因

1  原告らの父岡田晋吾(当時五〇年)は昭和二六年九月九日午前十時半頃札幌、千歳間の国道富ケ岡附近の道路上を自転車にて札幌方面に向い道路の左側を進行中、当時警備予備隊(現在自衛隊)に勤務していた訴外白石肇がその職務執行として運転していた同予備隊所管の貨物自動軍が後方から進行し警笛を吹鳴したので、これに注意し、右側に寄つたところ自動車も右側に曲進して排水溝に突入して横転し、その際晋吾は右自動車の下敷となつて押圧され、そのため同日午後一時一五分頃死亡するに至つた。

2  右自動車の横転は白石肇の運転上の過失によるものである。

3  よつて原告らは白石肇の使用者である被告に対し、慰藉料の支払を求める。原告らの母は既に昭和二一年に死亡し、以来原告らは父晋吾を家庭生活の中心とし、同人に養育されてきたのであるが、右事故死の結果幼い原告らのみが残され、生活に困窮し、且つ精神上甚大な打撃を蒙つている。原告らの右精神的苦痛は被告から、それぞれ金一〇万円の慰藉料の支払を受けることによつて慰藉される、よつて原告らはそれぞれ、被告に対する金一〇万円並びにこれに対する本件訴状送達日の翌日である昭和二九年九月二一日から完済まで年五分の割合による損害金の支払を求める。

三、被告の認否

1  請求原因1項は認め、2項は否認、3項中被告が白石肇の使用者であることは認めその余は不知、本件事故は白石肇の過失に基くものではなく、晋吾の過失に基くものである。

2  白石運転手が当時の警備予管隊所属の貨物自動車を運転して札幌・千歳間を札幌に向けて進行中富ケ岡附近にさしかゝつたところ同じ道路上を左側寄りに自転車に乗つて同方向けに進行中の晋吾に出遭つたのであるが、右白石運転手は晋吾の自転車に接近しこれを追越すに際しては万全の注意を払つて自動車の速力を減じ、又警笛を吹鳴して自動車の接近を知らせる等の措置をとり、更に後方約一五米の位置で警笛を吹鳴し晋吾がその進行位置を変えないことを確認した上で道路の中央寄りに進路を変えて晋吾を追越さんとしたところ、晋吾は既に背後に自動車が接近していることを知悉しながら無謀にも突然自転車を道路の中央に乗出して来たため、白石運転手は突嗟に衝突の危険を感じてハンドルを右に切ると同時に急停車の措置をとつたが、このため道路の右側(東側)端の排水溝に自動車の前車輪を落し、その反動で車体が倒れ右晋吾が押圧される結果となつたのである。従つて右白石運転手にとつては通常自動軍運転について要求せらるべき注意義務を尽して万全の措置を採つたのであるから義務懈怠はなく且つ過失はない。

四、被告の抗弁

仮に右白石運転手に過失があつたとしても

1  被告は白石運転手の選任及びその事業の監督については相当の注意をしていたのであるから被告は原告らに対して慰藉料を支払う義務はない。即ち

(イ)  白石運転手は東京都立自動車学校機関科を修了し、昭和二三年七月一七日東京都特別区公安委員会より自動車運転について普通免許証を受けておりその後、同都内の伯父のもとで自動車修理業務に従事するかたわら自動車運転業務に従事していたものであつて、同人は単に自動車運転技術の点において優秀であるのみならず機関修理技術においても優ぐれているのであつて自動車運転手としての能力、資格、技倆等にも他の運転手に比し優るとも劣るものではなく又同運転手はかつて本件以外には交通事故を起したこともない。被告は昭和二五年九月一日同運転手を採用したがその後も同人は職務に誠実勤勉であり、勤務成績も良好であつた。従つて同運転手の選任については被告は相当の注意をなしたものである。

(ロ)  又運転業務については同人は恵庭駐屯部隊車輌班に所属勤務していたものであるが右車輌班においては車輌事故発生については極力注意し班員一同に対しては隊長その他の上司より機会ある毎に隊の規律に従い十分な注意の下に車輌取扱いに当るように訓示がなされていた外他方運転に際しては班長より常時各班員に対し過誤のないよう厳格な注意が与えられていたものであるから被告は事業の監督についても相当の注意をなしていたものである。

2  仮に右主張が認められないとしても原告島上トミ子は昭和二六年一二月二九日以降被告からの死亡見舞金合計十三万九千円を受領し、その際本件事故の賠償について一際異議を申立てない旨を約したのであり、同原告は当時原告らの家庭で親代りの地位にあつて家事万端を切り廻し、家族を代表していたものである。よつて原告島上トミ子は自己及び他の原告らを代理して賠償請求権を放棄したものである。

3  仮に以上の主張が認められず被告に慰藉料支払の義務があるとされるならば、被告はその額の算定につき過失相殺を主張する。即ち本件事故当時被害者である晋吾は当時当初道路の左側を進行していたがその進行位置は道路の左側端であつて既に安全な退避位置であつたのであるから、白石運転手の吹鳴した最初の警笛を聞いても自己の進行位置を変えなかつたことは妥当な措置であるが、然し晋吾は更に二回目の警笛を聞きその際後方を振り向いて自動軍が後方より接近し更に晋吾の自転車を追越さんとして道路の中央に進み出んとしているのを見て確認し、しかも既にその際自動車と晋吾との距離が相当接近していることをも十分承知しながらも、無謀にも従来の安全な位置より突然道路の中央に進み出たことは正に通常人の用うべき注意を欠いた措置というべきである。それ故本件事故は右の如く晋吾自身にも過失があるものである。

五、原告の認否

被告の抗弁2のうち被告主張の額の死亡見舞金を受領したことはこれを認めるが、本訴請求金額は右を差引いたものである。

六、当事者双方の提出した証拠〈省略〉

理由

一、当事者間に争のない事実

原告らの父訴外岡田晋吾(当時五〇歳)は昭和二六年九月九日午前一〇半頃札幌・千歳間国道富ケ岡附近の道路上を札幌に向い、道路の左側を自転車にて進行中後方からきた当時警察予備隊(現在の自衛隊)に勤務中の白石肇が職務として運転していた同予備隊所管の貨物自動車の警笛を聞き右側に寄つたところ、右自動車も右側に曲進し、排水溝に突入して横転したこと、晋吾が横転した右自動車の下敷となり、押圧されて同日午後一時一五分頃死亡したことは当事者間に争がない。

二、右事故の情況について。

前示争のない事実並びにその成立に争のない甲第二号証、証人山本芳雄、白石肇の各証言の一部、検証の結果を綜合すると次のことを認めることができる。

白石肇は昭和二六年九月九日午前一〇時頃所属恵庭駐屯部隊所管の積載量四トン、全長六・三五米、前部バンバーから運転台後部外側まで二・六米、前輪外側間隔一・八米、後輪外側間隔二・二五米、荷枠台高一・〇六米、地上より荷台幌上部まで二・五五米のトヨタBM型カーゴートラックの後部荷台に、予備隊員六、七名を乗せ、自動車部品購入のため、千歳、札幌間の国道を札幌に向い、富ケ岡附近に差しかゝつた。当時右附近の道路面は有効幅員六・四米で、舗装がなく、玉砂利が敷かれ、道路の両側は草叢となつている略直線道路であつた。白石肇は時速約四〇粁の速度で道路左端(以下道路左右の表示は干歳より札幌に向つて指称するものとする。)を進行し事故現場約一七〇米手前で道路左端から約一米を隔てて、進行しながら前方約七七米を進行する晋吾を認めた。当時他に通行者はなかつたが白石肇は更にそのまゝ進行し晋吾の後方約二〇米の附近で警笛を一回吹鳴し、更に約一〇米に接近した時、二、三回警笛を吹鳴した。その際晋吾は後方を振り向いたが晋吾は自転車の安定を失い動揺した。白石肇はアクセルの足を脱し、無加速状態をとつたが、制動する等の措置はとらず、晋吾がそのまゝの進路をとつて進行するものと予想し、晋吾の後方約五米に近付いた時自動軍の進路を道路中央寄りに変え、晋吾を右側から追越そうとしたが突然晋吾が自転車の安定を失つて自動車の前面に出てきた。(検証の結果によれば本件自動車の道路左端からの間隔は晋吾の後方五米の地点に至るまで増大していないのであるから本件自動車は晋吾の後方五米の距離に接近するまでは道路中央寄りに進路を変えていないものと認めるのが相当である。)そこで白石肇は衝突を避けるため突嗟に制動をかけるとともにハンドルを右に切り道路右側の排水溝に略直角に突入した。右排水溝は巾約一米、深さ約四〇糎あつたため、自動車は両前輪を溝に落し、両後車輪の位置が道路有効部分の右端から約三・二米の地点にある位置で停止するとともに、進行速度の遠心力により進行方向側に横転した。晋吾は横転する右自動車に押され、同自動車の前方から三本目の幌骨の下敷となり、骨折及び内臓内出血を生じてそのため死亡した。

右認定に反する甲第二号証の記載部分並びに証人白石肇の証言部分は信用できず、他に右認定を覆するに足る証拠はない。

三、白石肇の過失について。

本件事故当時の事情は前項規定のとおりであるが、更に白石肇の運転状況について事故直前の事情について検討するに晋吾は上段認定のように、自動車の直前で道路中央寄りに出るまでは道路左端に沿つて進行していたものであり、本件自動車も、事故現場に接近するまでは道路左端から約一米の間隔を置いて進行してきたことを認めることができる。そこで白石肇が上段認定のように事故を避けるためハンドルを右に切つた際の自動車の位置について考えると、上段認定のように晋吾との距離は後方約五米であり、道路左端からの間隔は、上段認定のように自動軍の横転した際の両後車輪の位置が有効道路右端から約三・二米の地点にあつたのであるから、右自動車の曲進する直前の後方右車輪の進路は、少くとも、道路左端から約三・二米の地点にあつたものと認めるのを相当とし、本件自動車の後輪外側間隔が約二・二五米で、右道路有効幅員が六・四米であることは上段認定のとおりであるから、自動車の後部左車輪の位置が道路左端から約一米弱の地点にあつたものと認めるのが相当である。(この点に関する証人白石肇の証言は信用できず検証における当事者の指示地点の表示は採用できない。)

以上の認定事実から考えると、結局白石肇は時速約四〇粁の速度で、玉砂利の敷かれた有効幅員六・四米の道路を進行し、前方に砂利のため自転車運転の安定を欠いて進行する晋吾を発見し、他に進行者もいないのであるから、かゝる状況で自転車を追越す場合自動車運転者としては、自動車の接近とともに自転車乗用車が危険を感じ、自転車の転倒又は動揺する場合のあることを予想し、予め充分の間隔をおいて、これを追越すか、又は速度を減じて、自転車乗用者の不安動揺を避けるとともに、急停車等によつて事故を避ける措置をとるべき義務があるにかゝわらず、白石肇は単にアクセルを外して自動車を無加速状態になし、警笛を吹鳴したのみで、既に道路左端を晋吾が自転車で進行しているにかゝわらず、道路左端から僅か一米弱の間隔を置いたのみで漫然運転を継続し、晋吾の後方約五米まで接近し、これに気付いた晋吾を驚愕させて、自転車の安定を乱させたものと認められるから、その後驚愕した晋吾が自動車の進行路直前に飛び出した以後これを避けるため、自動車を右に急速に曲進させ、更に急激な曲進と、従前の進行速度の惰性により進行方向に横転させたことが自動車運転者の運転技術として已むを得ないところであつたとしても、なお、横転した自動車の下敷となつた晋吾の事故について、白石肇は自動車運転上過失があり且つその過失は右事故と因果関係があるものと解するのが相当である。

そうすると結局晋吾の本事故による死亡は白石肇が被告の被傭者としてその業務の執行につき生ぜしめたものであるから、被告は一応白石肇の使用主として右事故によつて死亡した晋吾の子であること原告島上トミ子本人尋問の結果に照して認め得る原告らに対し、慰藉料を支払うべき義務がある。

四、被告の白石運転手の責任及びその事業の監督についての抗弁。

1  前記甲第二号証、及び証人白石、同湊更井の各証言を綜合すると

(イ)  白石運転手は昭和二二年千葉県立東葛飾中学校を卒業、更に東京都立自動車学校機関科を修了し、昭和二三年七月一七日東京都特別区公安委員会より自動車運転について普通免許証を受け、その後東京の伯父の経営する自動車会社に勤務して自動車の修理、並びに運転の業務に従事し昭和二五年九月三日警察予備隊に入隊して恵庭駐屯部隊に配属となり車輌班の自動車の運転手となつたこと。

(ロ)  右恵庭駐屯部隊においてその隊員中から自動車の運転手を採用するに際しては担当教官並びに補助官が既に運転免許を有する者の中から運転経歴を調査した上厳格な実地試験、学科試験、面接等を行なつた上採用していたこと、白石運転手もかゝる採用手続を経て採用されたこと、同運転手は受検者三〇人中合格者六人に含まれたこと。

(ハ)  白石運転手は自動車運転技術及び機関修理技術においても一応一般の自動車運転手並の能力、資格、技術を有していたこと、又同運転手は運転業務に就いて以来本件事故に至るまで一度も事故を起したことがないことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定諸事実からすると、被告には白石肇の運転手選任について相当の注意をなしたことを認めるのを相当とする。

2  しかし業務の監督の点については、なるほど前記掲記の各証拠によれば前記車輌班は毎日朝礼の後班長乃至は係等から必要な訓示や車輌運行、整備等についての必要な注意を隊員に対して与えていたこと、特に本部等からの通達、指令についても遅滞なくこれを説明、伝達していたこと、又特に注意すべき事項についてはこれを格言様式に箇条書にして貼りつけ常に隊員の記憶と印衆を明確ならしむるようになされていたこと、車輌の運行については常に上官の発する運行指令書に基づいて行なわれていたこと、車輌の整備点については運転手については毎週一回の点検と毎日の点検とに分けて行われ整備員については毎月の点検と半年毎の点検とに分けて行われていたこと、その間においても屡々係官の抜打点検が行われたこと、を認めることができるけれども、なお恵庭隊車輌班においては昭和二六年二月頃から同二八年一月頃迄の間にほゞ一〇件に及ぶ車輌の溝えの突込み、横倒し等の事故がありそのうち人体傷害、器物破損は本件事故を含めて三、四件発生していたことをも認めることができる右事実と上段認定の本件事故における白石肇の過失の態容を勘案すれば、被告はいまだ、白石肇の業務執行の監督について相当な注意をなしたものとは認め難いところである。

よつて被告の右抗弁は結局理由がない。

五、 原告らの損害賠償請求権の放棄抗弁について。

1  成立に争のない乙第二、第三号証、原告島上トミ子の本人尋問結果を綜合すれば、原告トミ子は昭和二六年一一月二九日及び同二七年四月四日にその当時晋吾の死亡見舞金等を受領した際に今後本件事故については一切の賠償について異議を申し立てない旨を述べたことを認めることができる。

右認定に反する原告トミ子の本人尋問結果部分は措信できないし又他に認定を覆えるに足る証拠はない。

そうすると特段の事情についてなんら主張のない本件においては、原告島上トミ子は本件事故による賠償請求権を放棄したものと認めざるを得ないところである。

被告訴訟代理人は、原告島上トミ子の右賠償請求権の抛棄は、同原告がその余の原告らを代理したものと主張する。しかしながら前記乙第一、二号証にはいずれも原告島上トミ子の氏名の外は、同人が他の原告らを代理することを表示するものもなく、また、弁論の全趣旨によれば当時原告岡田恵美子は満二一年、原告岡田幸男は満一九年であつたことが認められるところ、原告島上トミ子が右乙第一、二号証を被告に提出することについて右の二人についてさえ相談又は了解を得たことを認めるに足る証拠はなく、右両原告の年令を原告島上トミ子の年令(当時二三年)に比すれば、他の原告もすべてその相談に預つたものとは認め難く、原告島上トミ子に賠償請求権の放棄をなす権限を暗黙にも委任していたものと到底解することはできない。

よつて被告の右抗弁は原告島上トミ子に関する部分は理由があるけれども、その他の原告に対しては理由がないものといわなければならない。

六、過失相殺の抗弁について。

上段二において認定して諸事実からすれば、国道富ケ岡附近の道路は路面に小石が多く散在する道路であること、そのために自転車の運行に際してはしばしば車輪が小石に乗り上げることからその運転にコントロールを失う虞がある場所であつたこと、晋吾自身も本件事故現場附近を進行中には自転車の運転が動揺を来たして不安定な状態にあつたこと、白石運転手の運転する自動車が晋吾の後方約二〇米で第一回目の警笛の吹鳴を行ない約一〇米後方で第二回目の警笛を吹鳴を行なつて自動車の接近を知らせたこと、特に第二回目の際には晋吾は自づから後方を振向いて自動車の接近を確認していること、晋吾は依然としてそのまゝ運転を継続せんとしたことを認め得るのであり、更に原告島上トミ子本人の尋問の結果によれば晋吾は目及び耳が悪かつたことを認めることができる。かゝる事情の下における自転車の運転者は常に自動車等の通行車輌等に留意するのは勿論その運転のコントロールを喪失することによつて転倒し接近せる自動車等に接触して事故に至る危険が多分にあるのであるから周囲の交通に常に注意し、自動車の進行を知つたときは直ちに速度を著るしく減速するか或は全く停止するかして自ら安全を計り自動車の通過を待ち不充分な五感作用や不安定な運転から起る自動車との万一の接触を未然に回避すべき義務のあることは勿論である。それにもかゝわらず右晋吾はかゝる義務を懈怠して慢然とその運転を継続した結果本件自動車の接近をその直前まで確知し得ず且つ自動車の進路直前において自転車の運転を誤り本件事故に至つたものと認め得るから被害者たる晋吾にも重大な過失があつたものと認めうるのが相当で、被告の右主張は理由がある。

七、慰藉料額の算定について

以上各認定判示したとおり被告は原告島上トミ子を除くその余の原告らに対して本件事故による晋吾の死亡につき慰藉料支払の義務があり、原告らの父晋吾が原告らの母の死後片親として原告らを育てゝ来、原告らの家庭の中心的存在であつたこと、原告らが当時トミ子(二三年)を長姉として以下いずれも若年の者ばかりであつて生活的にも精神的にも苦境に陥つたこと、その他本件口頭弁論に顕われた諸汎の事情を考慮し、更に前項記載した如く右晋吾自身についての過失の存在も考慮した結果慰藉料額は原告島上トミ子を除くその余の原告各自につき金五万円をもつて相当と考える。

八、そうすると原告島上トミ子の本訴請求は結局理由がなく失当であり、その余の原告らの本訴請求は慰藉料各金五万円並びにそれぞれこれに対し判示事故の日の後であり本件訴状送達日の翌日であること本件記録上明らかな昭和二九年九月二一日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり、右限度を超える請求部分は理由がなく失当である。

よつて原告らの本訴請求中原告島上トミ子を除くその余の原告らの請求はそれぞれ右金額の限度においていずれもその理由があるのでこれを認容し、その余の部分並びに原告島上トミ子の本訴請求はいずれもその理由がないのでこれを棄却することゝし、訴訟費用については民事訴訟法第九二条第八九条を適用してこれを五分しその一を原告島上トミ子の負担とし、その余の二分の一を被告、二分の一をその余の原告らの負担とすることゝする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小河八十次 武藤春光 福島重雄)

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